アラサー非正規女性ヤママユ子のブログ

リーマンショックで正規雇用にありつけないまま20代後半なった女のあれこれ

『龍が如く 極』テレビゲームから学ぶこと

ヤママユ子はゲームが好きだ。

昨日は暗い話だったぶん、今日は遊びの話。
昨日今日と今月唯一の連休なのでご機嫌なのだ。

今日はプレステ3の『龍が如く 極』をクリアした。
龍が如くシリーズはずっとやりたいと思っていたものの、私は思春期から頑なに任天堂派だったのでプレステを持っていなかった。
結婚してから旦那が実家からテレビやパソコンの家具類を持ってきたのだが、その中にプレステが…

この間買ったコレ面白いよ、とすすめてくれた龍が如く極。
面白いのなんてわかっているのだ。やる機会が無かっただけで。

というわけで半年ほど前から私もプレイしていた。

ゲームに対する姿勢というかやり方が、旦那と私では違うようで、旦那はメインのストーリーをサクサク進めて20時間ほどでクリアしてしまうのだが
私はサブストーリーやオマケ要素も一つ一つこなして行きたい派なのでクリアまで70時間を越えてしまう。
集中してやりたいので私がゲームをやるのは旦那が夜勤のときや予定のない休日だけなのもあり、
また、夏からまるまる3ヶ月間は公務員試験の勉強をしていたから、クリアが今日になってしまった。


やりこめばやりこむほどにクリアするのがもったいなくて、物語が後半になると無駄にミニゲームに興じてみたり。
だから全体の大筋ストーリーを覚えてなくて本末転倒。


クリアした感想だが、できるだけネタバレしないよう述べると、
エンディングは笑顔で見られるんだけど、でも、誰もハッピーになってないのだ。
誰もハッピーになってないのに、後味が悪いわけじゃない。
というか、その辺の二時間映画よりもずっといい。
スタッフロール後の桐生さんと遥ちゃんのやり取りも、笑えて、でも大人びてる遥ちゃんが少し寂しくて悲しい。

何があっても逃げちゃいけないというメッセージはまるで自分が投げ掛けられたようで、勇気を貰えた。


ゲームというと、やらない人からすると理解できないものだと思う。
ゲームが好きというと軽蔑したような口調で「私そういうの一っっ切やらないから分からない」と言う人もいる。

私はゲームが好きだ。
思春期の頃は毎月ゲーム雑誌を買って、読者コーナーで友達になった人たちとは今も交流がある。
地元の親友たちもゲームが好きだ。最近はポケモンgoに夢中になっている。

ゲームはもはや子供のものではない。
感動して興奮して泣いて笑って、人間のドラマがそこには確かにある。
スタッフロールはどんなゲームにも、たくさんの人が関わっていることを教えてくれる。
恐らく家にも帰らず睡眠も取らず…そうやって面白いゲームを作っている。


しばらくは龍が如くシリーズを進めることになりそだ。
私が好きなゲームは他にオウガバトルやワンダープロジェクトなどがあるが…続編はなさそうかな?と思う。出ないかなぁ。楽しみにしてるのに。

スーパームーンと女性を月に例えることについて

ヤママユ子の住む地域もずいぶん寒くなってきた。


寒くなるといつも拒食症の頃を思い出す。
寒くて寒くて、私を守ってくれる脂肪はなくて、守ってくれる人もいなくて、
からだの節々は骨同士がぶつかってできた痣が痛くて、
そしてそれは対して好きでなくてもいいから、男の人と一緒に居れば紛れる気がした。

その頃の自分は月のようだと思っていた。

大学の文学の先生が、女性を月に例えるのは「太陽のような女性」の反対のようなものだと言っていた。
月は寒く不毛な地で、それに女性を例えるのは、病的さや、不健全な美しさを表すときだと。

あの頃の私は、生理もなく、マッチ棒のような体で毎日毎日死にたい死にたいと考えて過ごしていた。
一日の食事がガム2粒ということもあった。
太陽のような女性、とは正反対だった。
私を必要とする誰かに出会いたかった。
悲しかった。寂しかった。
20代前半の、みんなが楽しんでいた時期を私は全て病気に持っていかれてしまった。

今でも悔しいし、がりがりの自分に今もし会えたら抱き締めてあげたい。


空にまるい月が浮かんでいる。
あの頃のことを思い出すと、今生きているというだけで安心するのだった。

公務員試験 結果

ヤママユ子のもとに公務員試験の結果が届いた。

仕事から帰ってポストを見た瞬間分かった。
今までに何度も見たことのある縦長の薄い茶封筒。
中身は見なくても分かるが、一応開けてがっかりしてみる。


これで私の宙ぶらりんは終わり。
今の仕事を辞める大きな理由はなくなった。
不合格であっても、きちんと結果がでたことにほっとしている。
そして、やはり私は社会に必要とされていないような気持ちになる。


前にいたショッピングモールに戻ろうかなぁと考えることがある。
従業員が多いのでパートで働けば時間の融通がきくし、
逆にフルタイムで働けば今より労働時間が増えるので月の手取りは増える。
今の仕事は一人店頭で(お正月も…)時間はもちろん融通はきかず、それどころか昼食中に電話で呼び出されることもしょっちゅうだ。
どのみち非正規なのだが、直接雇用のぶん、バイトのほうがマシにすら見える。


旦那の体調不良はなかなか良くならない。
旦那より帰りが遅いのは申し訳ないし気持ちもつらい。
そんな中来週から夜勤に行くのだと言う。
ふたりの生活時間はなかなか合わない。
子供を作るには時間がかかりそうだ。

色々な角度から仕事について考える。

人と比べることで不幸になる

ヤママユ子は人と自分とを比べて勝手に落ち込んだりする。
というか毎日そうだ。

お客さんからは分からないが百貨店は本当に様々な雇用形態の人たちの集まりだ。
メーカー社員、メーカー非正規、
百貨店社員、百貨店パート、契約社員、派遣…

私はまわりの多くの人たちと自分の待遇を比べては惨めになる。

人と比べて勝手に不幸になる考え方の癖は昔からあり、仕事とプライベート関係なくいつも誰かが羨ましい。
うちは親が少し厳しかったから、門限は日暮れだったし、高校生の頃のお小遣いは月に1000円や2000円だった。
「お勉強の時間」も決まっていたし、進学するのは女子大以外選択肢はなかった。
結婚するまで外泊も禁止。

今になれば親には感謝しかない。
節約は身に付いているし、勉強しようと思えばすぐ習慣になる。テレビを見なくても平気。

しかし当時は自由な振る舞いをする友人たちが羨ましかった。
夜にバイトをしたり、期末テストの上位へのプレッシャーもなさそうだったし、
私が勉強している時間帯に色々なテレビ番組を楽しんでいるように見えた。
自分の進路を自分で選ぶのはかっこよくみえた。

大学に進学してからは、友達に代返してもらったりノートを借りたりして、普段は不真面目なのに単位を取る子にひどく憤りを感じで、そして羨ましかった。
器用に資格を取ったり先生に取り入ったりすることが私にはできなかった。

社会に出てからは人と比べる癖は酷くなった。
まず就職活動がうまく行った子と比べた。
勉強を頑張っていたのは断然私だったのに、なぜ、と思った。
早々に結婚して何の疑いもなく子供を持ったり、婿をもらったり、
あの子は親に家を買ってもらって…とか
あげればキリがないほどに。

私はいつだってものを見る基準が、「あの子はこうなのに私は」なのだ。


人と比べることで生まれるのは、嫉妬と劣等感だ。
優越感もあるかも知れない。
だが私の持つ優越感は、たとえば、独身ばかりの女性の職場で既婚者であること。非常にくだらないことだ。
子供を授かればもっと優越感を得られるかも知れない、という自分の気持ちに気付いたときゾッとした。

優越感のためや仕事を辞めるための口実に子供を使うところだった。恐ろしいことだ。


人と比べることでとても苦しいということを相談したことがある。
そして、あなたは十分恵まれていると言われたことがある。
その通りなのだ。
幼い頃から、私は嫉妬されて生きてきた。


何を言っているか自分でもまとまらなくなってきたので今日はここまで。

感情的にならないためには

ヤママユ子がブログを始めてから20日あまり経とうとしている。
つまり、私が派遣先の上司に噛みついてからそれくらい経つということか。

今でも私は間違ってないと思っているが(そこもいけないんだろうけど)
感情的になってしまったことには反省している。


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『感情的にならない本』 和田秀樹 2013


一気に読むともったいないし頭にも入らないので少しずつ読んでいる。
まだ半分ほどしか読んではいないが、書いてあるのは当たり前のこと、
と、いうか
おそらく普通の人であれば当たり前にしていることばかりだ。
私ももっと気楽に考えたい。
今さっき書いた「私は間違ってないと思っている」もこの本によれば感情的になるスイッチだ。

どんな負の感情も、放っておけばいつか落ち着くことがほとんどだ。
しかしいつまで経っても忘れられない感情もある。
私だけ?

結婚=ハッピーではなく覚悟←私もそう思う

ヤママユ子の旦那が風邪を引いた。

他部署に応援に行ってからお弁当を残したりと様子がおかしかったのだが…
ここ3ヶ月あまり構えなかったし、なんとかしてあげたいのだが私にしてやれることはあまりない。。


私は自分が性格があまりよくないのを知っている。
直せるのなら直したいし、自己啓発本を読んだりもする。
社会との繋がりをなくしてこれ以上世間知らずになりたくないから仕事も続けている。

私は、私以外の誰かに何かをしてあげたい、という気持ちにあまりならない。

しかしなぜか旦那にだけは何かをしてあげたいと思う。


旦那は私に何かをしたがる人だ。
こんな私のことを何より大切にしてくれている。

自分の命より私の命を優先すると思う。
必要であれば平気で腎臓を差し出すと思う。
本人もそれを当然と思っている。
いつの間にか、私も旦那に対してそう思うようになった。

今まで何人かの男性と関係してきたが、私にそう思ってくれていたひとはどのくらいいたのだろう。
そして私はそれらの男性に、こんな気持ちになったことがあっただろうか。


先日結婚した柔道家の松本薫さんが、
結婚はハッピーだけでなく覚悟だと言っていた。
私もそう思う。

好きなだけでは結婚できない。
目の前のこの人が、ある日半身不随になって車椅子になってしまったら、それでも一緒にいられるか?
結婚とはそういうものなのかもしれない。

怪談は作り話であってほしい

ヤママユ子は極度の怖がりだ。
幼い頃から心霊だの怪談だのが苦手だ。

しかも前に働いていた店の店長がいわゆる「見える人」で、
やれ掃除用具入れのところに女がいるだの
やれ今も背後にいるだの恐ろしいことを言う人だったものだから、私のビビりはどんどん激しくなった。

0時を回ったら極力風呂には入らないし、
旦那が夜勤のときは怖い夢を見る。
テレビの心霊特集は絶対見ない。
なのにネットでWeb怪談を見てしまうのだ。
ここ数日間ずっとである。
ベッドの中で怪談を読んでは激しく後悔し、作り話であってほしいと願うのだ。
我ながらばからしい。しかしやめられない。
ちなみにここまでの怖がりだが今まで霊を見たことはただの一度もない。
金縛りは何度もあるが…

恐怖感というのは暑いとか痛いとか、そういう生理現象のようなもので、無理に抑えられるものではないと私は思っている。
恐怖感でいっぱいになりながら、無理に寝ると朝になって体がガチガチに痛い。
しかし恐怖感はだいぶなくなっていて、オバケだ何だと考える間もなく旦那のお弁当作りに入る。
旦那を見送ると家に一人残され、自分も仕事であればさっさと身仕度して出勤、怖い話などさっぱり忘れてしまう。
休みの日であれば家事を始める。オバケは怖いが、風呂場のぬめりやお金の心配のほうがよっぽど怖い。

そんなこんなで昼間は平気なのだが、夜になるとまた昨夜と同じくらいの恐怖感に襲われ、ついスマホで怪談を見る…



今日は仕事の話から離れてこんなくだらないブログ。
休みの日も仕事のこと考えちゃうけどね。
そんな必要もない仕事なんだろうな。私の仕事なんて。私には大切だけど。