遠い日の思い出と、相性という概念
ヤママユ子は今日はちょっと大人の話。
若い子はまわれ、みぎ。
今回のこんな記事を書くのに4日ほどかかってしまった。
公開するかどうかも迷った。
元恋人の誕生日というのは容易に忘れられるものではない。
だからと言って連絡するわけでもないのだが。
今の旦那と付き合う前、私は20ほど年上の男性と付き合っていた。
念のため述べておくが、お互い独身だ。
とは言え彼のことを思うとあまり公にできない関係だった。
私は彼のことが好きだった。
大好きだった。付き合うずっと前から、私が学生の頃から。
どういうアプローチをして付き合うに至ったかは長くなるので今回は省くことにしよう。
彼と初めて結ばれたのは、2年ぶりに会った日の夜のことだった。
そのたった一回で、肌が合う、というのはこういうことかと確信した。そしてそれは彼も同じだった。
デートに行くたび早足の彼についていくのは大変だった。
自分の後ろで小走りになる私に彼は気づいていただろうか。
気づかれなくても良かった。憧れの人の背中を追いかけるだけで楽しかった。
私のことを可愛くて仕方がないと言う一方、遠距離だったけれど彼は頻繁に連絡をくれる人ではなかった。
会っていない時は、お互いがまるでパートナーがいないかのように自由だった。
そのくせ彼は嫉妬深かった。
将来に関わる関わらないに限らず私と約束をするのを嫌がった。
今までで一番泣いた恋だった。
私が弱音を吐くと彼は叱った。
そしてたまに会うとすべてを忘れて貪りあった。
調子のいい男だと思っていた。
しかし私は、彼が彼のやり方で、きちんと私を想ってくれているとわかっていた。
愛しているなんて、付き合っているうちに2回聞けたかどうかだったけれど、確かに私は愛されていたのだと思う。
結婚したがる人とはもう付き合いたくないね、と煙草を燻らす彼の背中は筋肉質に締まっていた。
少ないけれど深い思い出たちもあった。
一緒にかいだ草のにおい。
夏の水槽の結露。
銀座で買ってくれた色鉛筆。
しかしそのうち、隠れてデートをすることや連絡をくれないことに私は疲れてしまった。
時間差でお店に入ること、私だけがつける指輪、電話をくれるという約束は守られない。
体が離れられないだけで心は離れている状態だと思い別れを告げた。
しかし今思えば、等身大で居られなくても、私はそれでよかった。
だけど臆病な私は、
10年後一緒に居られないのに、今日一緒にいることが怖かった。
こうやって過去の恋人との思い出を語ることを、勝手と言われてもいい。
勝手な女と言われてもいい。
私の中の彼との思い出は、だれにも盗み見れない私の宝物でありがらくたで、
そして私はそれを一生手放さない。
彼と別れてから、他の男性とセックスをするたび何とも言えない物足りなさを感じたものだった。
一体どんなふうにして、彼は私をあんなに歓ばせていたのだろう。
そのたびに、彼は私をこんなふうにしてしまった、と思った。
体の相性の合う相手と出会うと、性に対する価値観が変わってしまう。
あれから3年以上が経って、気持ちの整理はずいぶんついた。
しかし今でも思い出す。
その思い出はジュクジュクと音を立てるように熱くなる。
肌を合わせるたび新しい発見に満ちていたこと。
彼は私のからだの真っ白なのを気に入っていたこと。
何度も登り詰めたこと。
せんせい、せんせい、と、枕に顔を押し付けながら。
あんな体験はもう2度とできない。